未来設計パパです。前回、妻の精神科入院という絶望的な状況の中、10円玉で繋いだ電話の軌跡、そして看護師さんの粋な計らいにより、私は妻と10分間の面会を果たしました。この再会で「家族の絆」が折れていないことを確認し、「安心への執着」を固くした私。今回は、妻が入院に至った最悪の初診察、そして驚異的なスピードで「外出・外泊」へと進んだ回復の道のりと、その裏で私が下した現実的な「家族防衛」の決断について詳細に記録します。
1. 絶望の初診察:心ない医師と、半強制的な別れ
1-1. 過呼吸寸前の妻と、担当医師の冷酷な対応
話は入院前の初診察の日に戻ります。その当時の妻は、目の焦点もあっていないような状態で、座っているのがやっとでした。まともな受け答えや会話も厳しく、常に隣に私がいないといつ過呼吸になるかもわからないような状態でした。
いざ担当医師から問診が始まりましたが、妻は基本ほんの少しうなずく、首を振ることが精一杯で、本当にささいな受け答えしかできません。私が事情を説明し、問診も代わりに受けていましたが、だんだんと妻への問診が増え、妻はなんとか単語のみ発し、私が聞き取り通訳で進めます。しかし、次第に呼吸が荒くなっていきました。
そこで担当医師は、心配するどころか、まったく無表情で機械的に言い放ちました。
- 「この薬を飲んでください。問診が進みません。」
妻は持参していた水筒でゆっくり飲もうとチャレンジ。その間、担当医師と私で問診を進めていましたが、1~2分でしょうか、担当医師は妻を見かねて強めに言いました。
- 「薬早く飲んでください。何も進みませんよ。」
妻の目からは涙がこぼれ、完全に怯えていました。「帰りたい」力を振り絞ってとてもとても小さい声で私に訴えかけました。この時を思い出すと、私は今でも泣きそうになります。
1-2. 医師の無関心と、医師長の言葉
なんとか薬を飲み終えたところ、担当医師は**「妻さん一人で問診を進めます」と、私を診察室から出すように促しました。その瞬間、妻は限界を迎え過呼吸**が始まりました。
私は、「絶対にまずい!また意識が飛んでその場で倒れてしまう!!」と思いながらも外で待っています。担当医師は急かす様に質問を続けたようで、本当にわずかな時間で妻は意識を失いました。
- 「旦那さん!入ってください!!」
その言葉で診察室に入ると、椅子から倒れこみそうな妻を担当医師が支えている状態です。すぐ交代で私が支え、担当医師は「医師長を呼んできます!」と部屋を出ていきました。
「精神科でもこんな対応かよ。誰かお願いだから妻を救ってくれ」と絶望しながら待つ中、医師長が到着しました。
- 「この状態までよく自宅で診ましたね」
一言目から、この人は信頼できると感じました。「残念ながらこの状態では、即入院です」と告げられ、妻は車いすに乗せられ、ほぼ意識のないまま隔離病棟へ連れていかれました。別れも言えずに、半強制的に家族は離れ離れになりました。
当時の担当医師は、本当に最悪で思いやりのかけらもない医師でもないただのつなぎの人だろう、もう話すこともない、と思っていましたが、まさかの担当医師だったのです。
2. 希望の外出:変わった医師と、わずか2週間の奇跡
2-1. 驚異の回復スピードと、医師の態度変化
話は、初めての面会後、担当医師との外出・外泊の相談に移ります。
この時、担当医師は全く別人のようで、最初の冷たい態度はなんだったのかと思うほどでした。妻の容態や処方している薬について、今後の治療法などわかりやすく説明を受けました。
そして、外出・外泊についてです。
- 「すぐにはまだできないけど、回復の具合から見て来週くらいには、1度やってみましょうか。」
1カ月後くらいからようやく可能かと思っていたので、まさかこんなに早くできると思っていませんでした。外出は、基本9時~16時までの好きな時間で良いとのことでしたが、初回のみ少し短縮で10時~15時で外出の日程が決定しました。
2-2. 絶望から解放された、たった5時間の再会
その当日は、義両親に送迎を頼み、私と娘は自宅にてとても楽しみに待っていました。妻もとても楽しみにしていたようで、満面の笑みで帰ってきました。
私はまた、泣きそうになりながら最大限の笑顔で迎え入れた、とても幸せの瞬間です。入院からわずか2週間程度、娘は生後3週程度での再会でした。
入院時には考えられないほど、見違える妻の姿がそこにはあり、時間としてはたった2週間ですが、絶望からようやく解放されました。(※その後すぐに魔の3週間が始まってしまうのですが、この時は幸せいっぱいです。)
娘へ最大限の愛情を注ぎ、お世話法を私から伝えながら一緒に丁寧に行いました。
- 「しっかりパパになったんだね。迷惑かけてるけどごめんね。ありがとう。」
妻のこの言葉に、私自身もきつい状況でしたが救われました。
2-3. 日常の回復と、医師の指示
妻が「マックが食べたい。」といって食べた昼食は、過去最高の味に感じました。他にも「お風呂につかりたい」と一時的な日常生活を取り戻しましたが、時間はあっという間に過ぎていきました。
妻は「搾乳機の母乳を赤ちゃんにあげたい」と希望しましたが、医師の説明から薬が強く赤ちゃんが泥酔するような状態になってしまうと禁止されていることを伝えると、寂しそうですが、納得した様子で病院へ戻っていきました。
3. 退院へのカウントダウン:現実的な「家族防衛」の決断
3-1. 驚異的なスピードで許可された外泊と退院
このあと入院3週目、4週目と連続で9時~16時の外出を行うことができました。3週目の外出後、4週目の外出前に担当医師と相談しました。
- 「次回の外出(入院4週目)で問題なければ、外泊を許可します。妻の回復具合及び実情を踏まえ、いきなりですが2泊を許可します。」
ついに外泊までこぎつけることができました。さらに、医師は驚くべき提案をしてくれました。
- 「外泊で問題なければ、その翌日退院で良いでしょう。ご主人のお仕事やワンオペ等の事情もあると思います。いかがでしょうか。」
入院当初は、早くても3カ月は入院と聞いていたので、約半分の入院6週目での退院許可はとても嬉しい気持ちでいっぱいでした。
3-2. 黄昏泣きを避けた「最コスパ」の家族設計
しかし、私はここで現実的な判断を下しました。
「娘の黄昏泣きがとてもひどい状態で、日中はおだやかに暮らしていけそうだけど、18時~24時の実情では妻がまた耐えられなくなると思うから、18時以降は妻の実家にて生活できるか相談します」
この提案は、妻の実家も快く受け入れてくださり、入院6週目での退院日程が決まりました。妻の回復を最優先し、親の精神的な負担を最小限に抑えるこの決断こそが、まさに私たちが目指す**「家族防衛戦略」**でした。
最後に
この壮絶な入院・出産を経て、実際に発生した医療費用について触れておきます。
驚愕!出産費用+精神科入院費用 総額100万円
この総費用は、皆さんが想像するよりも遥かに高いのではないでしょうか?この内訳や、医療控除、高額療養費制度を駆使してどのように乗り切ったのか?その詳細は、のちほど**「総費用100万円!?出産費用・医療控除・高額療養費制度について」**に記事にして公開します。
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