壮絶!退院翌日からも続く原因不明の症状と救急搬送3日間の全記録

子育て

未来設計パパです。前回の記事では、帝王切開後の妻が髄液漏の疑いによる激しい頭痛と不眠に苦しみ、ついには意識朦朧となり、緊急搬送された出来事をお話ししました。

妻が一時的に回復し、元の病院に戻って退院準備をすることになったあの時、「一大事にならず本当に良かった」と私は心から安堵していました。しかし、その安心は一瞬で打ち砕かれます。

**「自宅に帰れば良くなるはず」という淡い期待とは裏腹に、退院の翌日から、我が家は予期せぬ地獄に引きずり込まれました。この3日間の壮絶な記録こそが、私が「パパが主役のワンオペ育児」**を決意した最大の理由です。


1. 退院翌日から始まった、終わりの見えない症状

病院を信じた結果:退院後の地獄

退院後、自宅の慣れた環境でなら妻も休めるはずだと信じていました。しかし、その期待はすぐに裏切られます。

退院2日目。再び妻が意識朦朧となり、座っているのもやっとという状態に陥りました。私たちは迷うことなく救急車を呼び、受け入れ先も同じ総合病院へ緊急搬送されました。

新生児と自宅に残り、妻の両親が付き添いで辿り着いた総合病院での診察。しかし、検査結果は**「異常なし」**。医師からは「原因不明」とお義父さんから連絡告げられ、私は言葉を失いました。そして、追い打ちをかけるように手渡されたのは、精神科への紹介状でした。

「こんなに苦しんでいるのに、原因は心の問題だと?」。病院に頼るという選択肢が、この時、完全に消え去りました。

2. 救急車を呼んでも無意味?地獄の連鎖

絶望の朝:門前払いされた唯一の希望

3日目の朝、妻の唯一の希望だった精神科への受診のため、近隣の病院に片っ端から電話をかけましたが、門前払い。「予約が必要です」「すぐには対応できません」。

**「このままでは妻がどうにかなってしまう」**という焦りと、どこにも頼れない絶望感で、私達家族は、自宅で打ちひしがれていました。

3日連続の危機:救急救命士さんとの30分間

この日の妻は一番ひどい状態で、一人でトイレにも行けず、要求もか細い声でつぶやくように「トレイに連れて行って」「お水ちょうだい」時おり「息ができない」ととても苦しそうに訴える妻の姿が今でも忘れられません。新生児の世話なんてもっての他な状態でした。

まだ元気のあった退院初日に妻と新生児の娘の世話の仕方確認を行えたこと、事前の本からの知識があったこと、本当に良かったです。昨晩から夜通しで妻と新生児の世話をなんとかやっていましたが、何も準備していなかったらと思うとぞっとします。

案の定日中に、再び妻に同じ症状が発症し、完全に意識が飛んでしまい三度目の救急車を呼びました。

もう病院に搬送しても原因不明で門前払いされるだろうけどかけた電話の最中、今回は妻の呼吸もとても浅くなってしまい、電話越しに状況説明をしていると「心臓マッサージの準備をしてください」と告げられ、なんとか家族を助けたい一心で処置を行いました。妻の胸を強く押すとまさに映画のように「はああーー!」と妻が意識を戻し、それから過呼吸のように大きく吸おうとしているができない苦しい呼吸がはじまりました。「絶対に俺が二人とも守るから!」と強い気持ちとは裏腹に、自分自身もパニックの連鎖で過呼吸気味になっていました。

救急車が到着する直前、連絡していた妻の両親が到着し、「なんでこんなことになっているんだ!」とすぐには受け入れられない状態でした。その後救急車が到着し、前回と同じ救急救命士さんでした。

救命士さん「きっと病院へ搬送しても門前払いの可能性が高い。落ち着いて様子を見ましょう。」

私「意識がなくなって、妻の呼吸が止まってしまうんです」

救命士さん「意識がなくなっても、呼吸が止まることは絶対にない。とても浅くても呼吸し続けるから大丈夫」

私「ずっとこんな状態で助けてください」と妻の呼吸を促している最中、お義父さんから興奮気味に

お義父さん「呼吸が止まることはないって言われてるんだ。お前はそんなことしなくていい!」

と言われてしまいました。このやりとりは、今でも鮮明に覚えています。

そんな中、妻は救急車に乗せられ、私も過呼吸気味で手足の痺れを感じながら横になっていました。30分近くの間、妻の様子を見守ってくれ、私も妻も多少落ち着きました。この時、**「これはもう、一刻を争う事態なのだ」**と、これまでで最も強く危機感を覚えました。妻を助けられる可能性は、どこかにあるはずだ。

私は腹をくくり、最も融通が利きやすいとされる大きな精神科病院へ、3日連続で救急車を呼んだ壮絶な状況と、新生児がいることをすべて話し、翌日の緊急診察を懇願しました。

この日からは妻は実家へ戻り、日中すこしだけ、新生児の娘を見に来るような生活にしようと決まりました。

3. 精神科担当医の診断と、打ち砕かれた未来設計

翌日、奇跡的に診察を受け入れてもらうことができました。

そして、その担当医に会った瞬間、私の**「未来設計」**は完全に書き換えられました。

医師は妻を診るや否や、私に告げました。

「これは入院が必要です。早くても3ヶ月間の精神科の入院が必要になります。」

この診断は、生後0ヶ月の娘との、「パパによる完全なワンオペ育児」と「家族が離れ離れになった日々」の始まりを意味しました。私の人生は、最も幸せであるはずの時期に、想像もしていなかった地獄へと突き落とされたのです。

次回の記事では、突然始まったワンオペ育児の現実と、この切実な経験から学んだ突然の妻の入院宣告。生後0ヶ月の娘との「ワンオペ育児」が始まるとき についてお話しします。

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