未来設計パパです。前回の記事(退院後の地獄)で、妻が原因不明の症状に苦しみ、ついに**「3ヶ月間の精神科の入院が必要」**と診断されたことをお話ししました。
この診断は、生後0ヶ月の娘との、「パパによる完全なワンオペ育児」と「家族離れ離れになった日々」の始まりを意味しました。しかし、ワンオペ育児が始まるまでに、私はもう一つの、人生で最も過酷な5日間を乗り越えなければなりませんでした。
1. 限界を超えたパパの奮闘:過呼吸と娘の再入院
限界のサイン:極度のストレスによる過呼吸
妻の入院宣告を受けた後、極度のストレスが続いた原因か、自分の体も限界を迎えているという現実を突きつけられましたが、休む時間はありません。
私は、娘の命を守り、仕事の引継ぎと妻の入院準備を進めるため、苦渋の決断をしました。
子供は再び産院へ預かってもらい、5日間で体制を立て直す。
この5日間で、私はたまってしまった仕事及び最低限の引継ぎ、妻の精神科への入院荷物の準備と搬入、そして自身の体調管理という、あまりにも重すぎるタスクをこなさなければなりませんでした。
精神科入院の壮絶な現実
特に壮絶だったのは、妻の精神科入院の準備です。
自傷行為の対処のため、病棟への持ち込みは厳しく制限されていました。ひも状のものや鉛筆等の鋭利なものは禁止。当然、スマホも使用禁止です。
唯一の外界との連絡手段は、公衆電話の100円分だけ。面会も禁止されたため、この1分にも満たない非通知設定の電話だけが、妻と私、双方にとっての唯一の希望となりました。まさか、非通知設定の電話が来ることをこんなにも楽しみにすることがあるとは思いませんでした。
2. 娘を抱え、市役所へ。テレワークでのワンオペ育児の始まり
この5日間で、私は無理やり状況を整えられるよう、一気に残りの仕事を行いました。職場には迷惑をかけることを覚悟で、上司に状況説明・今後のできる仕事の範囲説明しました。この時から、職場の周りからは、強い反対もあったようですが、受け入れてくれた上司や同僚、後輩にはとても感謝しています。
そして、娘を産院から再び迎え入れ、ともに市役所へ出生届を提出。この瞬間から、テレワークを行いながらの、生後0ヶ月の娘との完全なワンオペ育児が始まったのです。
育休開始はまだ先。私は、仕事と育児、そして妻の入院という三重苦を、たった一人で背負うことになりました。
本で読んだ知識だけでは、妻の不調も、自分の過呼吸も、そしてこの急なワンオペ育児も乗り越えられませんでした。だからこそ、この「生後0ヶ月」のお世話のノウハウは、「もしもの事態」に備えるためのパパ必須のスキルなのです。世間的なイクメンや妻の代わりに家事は全部やるという意気込みだけでは、乗り越えられない状況もあるのです。
次回の記事では、この切実な経験から学んだ、【生後0ヶ月】パパが主役の「お世話の仕方」完全ガイド:ミルク・オムツ・寝かしつけについて解説します。
先に私達夫婦の行く末を知りたい方は【特別編1:妻の容態】10円玉が繋いだ家族の絆:妻の精神科入院と、孤独なワンオペパパが見た希望の光 こちらの記事に記載しています。
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