【特別編1:妻の容態】10円玉が繋いだ家族の絆:妻の精神科入院と、孤独なワンオペパパが見た希望の光

子育て

未来設計パパです。当ブログでは、**【プロの視点×FIRE】を軸に、「家族防衛・最コスパ戦術」**をテーマに情報発信しています。

これまでの記事で、私は妻の緊急入院と、生後0ヶ月の娘とのワンオペ育児の始まりについてお話ししました。しかし、私たちの家族が直面した最大の危機は、心の健康を失った妻が、外界から隔絶された隔離病棟で治療を始めたという、最も孤独で絶望的な現実でした。

本記事は、鋭利なものも持ち込めない隔離病室と、非通知の電話を待つ夫。そのどん底で、私たちが**「命の絆」を信じ、未来への希望を見出した全記録です。この切実な体験こそが、私の「安心への執着」「知識への探求」**の原点となりました。


1. 絶望の始まり:内側ドアノブのない鍵のかかる隔離病棟

1-1. 全ての「光」が遮断された病室

妻の容態は厳しく、医師の判断により、入院直後から、内側にはドアノブの無い隔離された病室にて治療が始まりました。

  • 安全管理の徹底: 自傷行為の防止のため、鉛筆などの鋭利なものひも状の物は全てNG。もちろん、スマホや携帯電話も持ち込み禁止の、外界から完全に遮断された状態でした。

「本当にここまでひどいのか…」と、私はどん底に突き落とされたような落胆を覚えました。万全だったはずの未来設計図は、この病棟の厚い扉の前に無力に立ち尽くしていました。

1-2. 一方通行の手紙と、未来への誓い

この時の連絡手段は、手紙のみでした。私は、妻が病気で入院していることに対し、責任を感じないよう、傷つかないよう、細心の注意を払いながら思いを手紙に書き留めました。

その手紙を、洗濯物と一緒に看護師さんへ渡す、一方通行のやり取りだけが、妻との繋がりでした。

毎日、書き終わった後、私は自分自身に強く言い聞かせました。

「この時がどん底だ。いつか絶対に乗り越えて、絶対に忘れないように記録しよう」

これは、極限状態で未来の家族へ向けた、私一人だけの記録用ビデオメッセージであり、恥ずかしいので娘が1歳7ヶ月になった今現在も妻にも見せていません。


2. 最初の希望:公衆電話越しの、涙の10秒間

2-1. 隔離病棟から普通病室への移動

入院から数日がたち、病院から一本の電話が入りました。「妻さんの容態ですが、比較的回復したため、普通病室へ移動します」

隔離病棟は遅くて1週間くらいかかるかも、という話だったので、この連絡は本当に嬉しく、とりあえず一安心でした。ですが普通病棟とはいえ、精神科なので従業員さんは全員タッチキーを持っており、病棟部分に入る際には大きなロックされたドアを開錠し、すぐオートロックがかかる状態が続いています。

しかし、ここで一つの朗報がありました!

2-2. 10円玉で繋がる「世界との再接続」

公衆電話で一日100円まで電話ができるようになったのです!これは当時の私たち夫婦には、大きな喜びでした!!

病院からの連絡後数時間してから、案の定、非通知から電話が入りました。

「もしもし?パパだよね?私だけどごめんね…」

興奮冷めやらぬ中で始まった会話は、約10秒で切れてしまいました。

また着信。「もしもし?聞こえる?今、公衆電話からかけているの…」また約10秒で切れます。

「もしもし?10円じゃすぐ切れちゃって話せないよ(泣きながら)…」約10秒で切れます。

公衆電話世代ではない私たちでは、慣れない状況でした。次の着信の後すぐ、私はこう伝えました。

「(パパ)もしもし?今ある10円全部入れて」カチャカチャという音。

「(パパ)これで少しは話せると思う。電話かけやすい時間はある?」

「(ママ)うーん、この時間かな?」

「(パパ)じゃあ明日以降もこの時間は、絶対開けておくからまたかけて」と約束を交わすことで、その日の限界の100円が終わってしまいました。

ですが、これは大きな一歩が進んだ瞬間であり、飛び上がるほどうれしかったことを覚えています。多分、非通知の電話で、ここまで喜ぶ人はそういないでしょう。


3. 家族の再会:面会可能の知らせと感動の10分間

3-1. ドラマのような面会強行と、看護師さんの涙

それから入院して1週間近くがたちました。また病院から電話がありました。「妻さんの容態が回復したため、面会可能になります」 14時半頃の電話でした。明日から妻の面会に行こう!とうれしくなっていました。

その日はちょうど、義両親ではなく、市の子育てヘルパーさんに頼んでいて、15時~17時、娘をみてもらえる日でした。

まるで自分がドラマの主人公のようにふと考えました。

「待てよ。今日すでに面会可能だよな?今からでも16時までの面会時間に間に合うかもしれない」、ヘルパーさんが15時過ぎに到着後すぐ事情を説明し、自宅から30〜40分の病院へ急いで向かいました。「間に合わなくてもいい。とにかく妻に会いたい。会って元気づけたい」そんな気持ちで、最短ルートで時計をきにしながら車を走らせました。

そして、15時55分に病院での面会手続きを終え、なんとか時間に間に合いました。

面会時間が残りわずか5分、すでに泣く寸前だった私が「1、2分でもいいのでお願いします」と頼むと、

「時間に間に合ってますので、通常通り10分面会大丈夫ですよ」担当の看護師さんも、手紙のやりとりもお願いし面識があった方で、看護師さんの目にも涙があふれそうに見えました

3-2. 10分間の再会と、夫婦が共有した現実

10分何話そうと楽しみに待っていると、妻の姿が見えました。目にはとても大きなクマが残り、お世辞にも元気な状態ではありませんでしたが、入院時から比べると確かに回復した姿でした。

再会した10分間の会話は、希望と安堵が交錯するものでした。

会話内容
パパ「体調はどう?」
ママ「まだ薬がないと寝れないの。パパは寝れてる?」
パパ「俺もちゃんと寝れてるといったら嘘になるかな。薬は強いの?」
ママ「担当医師がいうにはお酒に近い成分が入ってるのをけっこう飲んでようやく寝れるんだ。赤ちゃんは元気にしてる?」
パパ「とても元気だよ。これが写真たくさん撮ってるよ。」
ママ「とっても可愛いね。はやく赤ちゃんにも会いたいよ。」
パパ「大丈夫。当初より早く回復しているから、きっと早く会えるよ」
ママ「そうかな?もう迷惑かけたくないから少し怖いよ」
パパ「もう俺も元気だから安心して。プレッシャーになったら悪いし、自分のペースで回復してくれればいいから。」
ママ「うん。ありがとう。」
パパ「この後担当医師に相談して、外出や外泊についても聞いてみるよ。また夕方の電話の時にでも伝えるから、毎日電話かけて」
ママ「うん。たのしみにしてる。」
パパ「久しぶりに、娘の写真とかで心から笑えた気がする」
ママ「私も久しぶりに笑った気がする」

妻は平静を装っているけど、本当は今にも泣きだしそうながら話していました。

このたった10分間の再会が、私にとっての数ヶ月分の光であり、家族の絆が折れていないことの確かな証明でした。

3-3. どん底の経験が変えた「安心への執着」と「知識への探求」

この再会を機に、私の「家族防衛」の決意は鋼のように固くなりました。

私は悟りました。

お金を稼ぐこと、貯めることは、単なるFIRE達成のためではありません。それは、愛する家族の「もしも」という危機から守るための「防衛費」であり、「安心」という名の最大の資産を築く行為である、と。

このどん底の経験が、私の**「安心への執着」「知識への探求」**を、より切実で、実現性を追求したものへと変えていったのです。


次回予告

特別編2:妻の容態 〜外出・外泊と驚愕の入院費用〜

次回、【特別編2:妻の容態】10円玉が繋いだ家族の絆:念願の再会と退院までのカウントダウン では、担当医師との面談で許可を得た「外出・外泊」について、詳細な記録を公開します。回復に向けた大きな一歩を踏み出すために、私たちが夫婦で乗り越えなければならなかった壁とは何だったのか?そして、この精神科入院で発生した驚愕の入院費と、そこから学んだ**「家族防衛のためのマネー戦略」**についても解説します。

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